今回は「子育て」において切っても切れないテーマ「イライラ」についてのお話です。
「4歳児のハイパー癇癪炸裂にメンタルをやられた話」の最後に、心理学者アドラーの「課題の分離」のことを書きました。
▼その話はこちら▼
読んで下さった方から面白かった、興味がわいたという声をたくさんいただきました。
課題の分離とは読んで字の通り「課題を分ける」ということですが、この言葉の神髄が詰まっている一文をご紹介します。
水辺に馬をつれていくことは出来るが、馬に水をのませることは出来ない
水辺?馬?何のこと!?そう思いますよね?
今からこの言葉の意味を解説していきたいと思います
▼合わせて読みたい▼
ここはとある国…あなたは馬を連れ旅をしています。
あぁ…どれくらい前に進んだか…遠くまで来たな
そろそろ馬も疲れる頃だ、馬に水を飲ませたいな
よし水辺に連れていこう
さあ…着いたよ、水をお飲み
シーン…(拒否)
なんてこった!
まだ先は長いしこの先水辺はないから、今飲んでくれないと困る
折角ここまで連れて来たのに、さあ飲んで
ヒヒン(飲みたくない!)
あぁ…困った…
なんで飲んでくれないの
まだ先は長いのに…
こんな事があったとします。
これは「課題の分離」ができていない例です。
この場合
水辺まで馬をつれて行く=自分がコントロール出来る(自分の課題)
馬が水を飲むかどうか=自分にコントロールできない(馬の課題)
こう考えてみて下さい。すると
「水辺につれて行ったが馬が水を飲まず困っている」のは「自分の課題」と「馬の課題」がごっちゃになってしまっています。
え?なんでそれがダメな例なの?
「馬が水を飲むかどうか」というのは自分でコントロールできない事だよね。
それに対して悩んだり困ったりしても自分にはどうしようもないんだよね。
それでは例えば子育てをしていてこんなことはないでしょうか。
保育園や幼稚園ですれ違ったママさんに
あれ?聞こえなかったのかな?
でもこの前も返事なかったなぁ…
まさか…あえての…無視!?
こんな風にちょっと心かき乱されちゃったりする事ありますよね。
私も前のマンションに住んでいた時、向かいの部屋に住んでいるママさんがなぜか絶対に挨拶を返さない人でした。
「あれ?聞こえなかったのかな?」
と最初思ったのですが、その直後廊下で会った他のママさんとは楽しそうに立ち話をしてるじゃないですか。
確かに私はその時子どもがおらず、そのママさんとはただの「マンションの向かいの部屋の人」という関係でしたが、何回挨拶をしても全部スルーなんですよ。
え!なんで!?私何かしたの!?
廊下ですれ違うたびに悶々としてました。(結局住んでいた3年間返事が返って来た事はありませんでした)
ここでアドラー的に分けて考えると
「挨拶をする」のは自分の課題
「挨拶を返すこと」はそのママさんの課題なんですね。
アドラーは解決出来る「自分の課題」に全力を出し、解決できない「他人の事」で悩んだり怒ったりするなと言いました。
ましてやどうにかして「他人を変えよう」っていうのは、他人の課題に首を突っこんでいる典型例で、他人を変えるなんて事最初から無理な話なんです。
「自分が気持ちよく挨拶する事」に注力すべきであって「どうしてあのママさんが挨拶しないのか」「嫌われてるんだろうか」なんて事は思い切って考えない!
課題の分離の基本的な考え方はこれなんです。
そして例をもう1つ。
例えば子どもと一緒にワークブック(我が家はこどもちゃれんじです)をやっていたとします。
こつぶ、次はこのページのシール貼りやってみようか
ぐりぐりぐり(色鉛筆でかきなぐる)
ちょっと、ワークブックがぐちゃぐちゃじゃん
今は色鉛筆の時間じゃないよ!
シールをやろうよ!
こんな時、私なら「せっかくワークブックを用意したのに…」とイライラマックスになっちゃいますが皆さんはどうでしょうか。
もしくは子どもが喜ぶかなーと内緒で買ったおもちゃを音速で投げ捨てられた。
こんな時どう思いますか?
私なら「せっかく買ったのに」としょんぼりマックスになります
こういった場合も課題の分離ができておらず、自分の課題と子どもの課題がごっちゃになっています。
自分は子どもの環境を整えてあげた
(ワークブックを用意して机の上に置いた)
ここまではいいのですが
「それに対して取りくむかどうか」は子どもの課題です。
さらにキツめの口調でたしなめる事で「子どもをコントロール」しようとしています。
結果うまくいかずますますイライラしてしまっていますね。
こんな時に
(まーでもやるかどうかはこつぶの課題だからなー)
と淡々と受け止めてスッと流すとどうでしょうか。
イライラする回数が減りませんか?
私はつい先に言っちゃったり手伝ってしまったりするタイプなので、そういう時は「ちょっと待てよ」とひと呼吸します。
そして「子どもの課題に口や手を出しすぎない」ようにしています。
「自分と他人との間に境界線をひく」
「自分の課題に全力を尽くす」
これを意識すると
自分ではどうしようも出来ない事に
なんでそうなるの?
どうしてやってくれないの?
などと頭を悩ませる事も激減し
自分のイライラや怒りも減って気分がとても楽になりました。
もし他人の課題の事でイライラしそうになったら
自分の課題かな?他人の課題かな?と考えてみて下さい。
ヒヒン!(子育てだけじゃなくて日常生活のあらゆるシーンに使える考え方だね!)
アドラーの「課題の分離」について詳しく書かれているのは大ベストセラーの「嫌われる勇気」という本です。
今回はサクッとご紹介しましたが、私が子育てや人生において「こういう考えがあるのか!」と衝撃を受けた1冊です。
心の底から推せる一冊なので今回ご紹介しました。興味ある方はぜひ読んでみて下さいね。
悩んでいる事の大半が「自分の課題」ではない
そして「自分の課題に全力を注ぐ」
私も改めて心に刻みます。
最後に補足です
アドラーの課題の分離は「子どもを冷たく見放す」や「放置する」ことではありません
子どもは親の所有物ではなく独立したひとりの人間であるという大前提のもと、愛情を持って見守る事も大事だと私なりに解釈しています
そして相手が子どもであれば年齢にもよってかわってきます
まだ何の判断もつかない赤ちゃんが危ない事をしようとしていても「ひたすら見守る」「放置する」という事ではありませんし、いじめのような問題を放置していいのかという話でもありません
あくまで日常生活においての心の持ちようで自分が楽になろうという話です この点はご注意ください
参考 アドラー心理学とは
▼こちらもオススメ▼
今回は「子育て」において
自分の心が軽くなりイライラが減る「課題の分離」について「私なりの視点」で掘り下げたいと思います